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昭和30年 |
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久保忠一が更科農業高校を卒業後、家業の農業に従事する傍ら、えのき茸の栽培に着手。 |
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昭和36年 |
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えのき茸の専用工場建設。栽培工場(建坪 45坪、高さ3m)を完成。これにより、えのきたけ栽培ビン本数が2千本から5万本に増え、えのき茸栽培の企業化に道を開く。 |
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昭和39年 |
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久保忠一が地元農協(現JAちくま)えのきたけ部会設立と同時に初代部会長に就任 |
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昭和41年3月 |
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長野経済連の要請に基いた久保式詰込み機の販売を契機に、日本で初めてのキノコの栽培会社、久保産業有限会社を設立し(資本金100万円、代表取締役 久保忠一)、きのこ業界の機械化の開発・推進に貢献すると同時に、地元生産者の育成と台湾などへの技術指導を開始する。 |
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昭和46年 |
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当社代表取締役久保忠一が、栽培ビンのポリ化に対応して同業同志と(株)千曲化成を設立し、代表取締役(兼務)に就任。ポリビンの製造と同年に設置された「きのこ栽培技術開発センター」の運営を行い、全国的なきのこ栽培技術指導と関連機器の販売を行う。
(久保忠一、昭和50年には(株)千曲化成を退く)
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昭和51年 |
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長野県の東北信地方で、初めてぶなしめじの栽培に成功。施設を全面改築して、えのき茸からぶなしめじに移行。 |
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昭和53年 |
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久保忠一が地元農協(現JAちくま)ぶなしめじ部会設立と同時に初代部会長に就任。 |
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平成4年 |
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ぶなしめじ工場を増改築。近代的な栽培施設(建坪250坪、2階建て、高さ5m)を完成。
これにより、ぶなしめじ栽培ビン本数が25万本から45万本へ増加。 |
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平成9年 |
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久保忠一の長男昌一が、(株)シューマート(本社長野市、靴のチェーンストアー、年商約67億円、従業員数約130名)の取締役副社長を退き、久保産業(有)の専務取締役に就任。 |
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平成13年1月 |
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ヤマブシタケの試験栽培を開始。「さんご状」に発生したキノコに注目し、安定栽培の手法を研究。 |
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平成13年3月 |
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「さんごヤマブシタケ」の商品名で販売を開始。またその時に確立した栽培方法について製法特許を申請。 |
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平成15年10月 |
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さんごヤマブシタケ専用工場(一部ぶなしめじ栽培も可)である第二工場(雨宮工場:敷地面積600坪、鉄筋2階建て延床面積400坪)が総額約2億円を投じ完成。
これにより、さんごヤマブシタケの栽培ビン本数が3万本から17万本へ増加。 |
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平成15年11月 |
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雨宮工場より、さんごヤマブシタケの出荷を開始。 |
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平成16年8月 |
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乾燥さんごヤマブシタケの販売を開始。 |
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